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映画『片思い世界』を観て、亡き妻との時間に感じていた“罪悪感”が少し溶けた夜の話

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『片思い世界』を観て、少しだけ心がやわらいだ夜

一昨日、横須賀の映画館で『片思い世界』という映画を観てきました。
脚本は坂本裕二さん。言葉にできないような感情を、すっと心の奥に届かせてくれるような、不思議な力を持つ映画でした。

内容についてはあえて触れませんが、僕はこの映画を観終えたあと、
なんだか「少しだけ救われたような気持ち」になりました。

3年前に亡くした、最愛の妻のこと

僕には、3年前に事故で亡くした最愛の妻がいます。
あまりに突然のことで、今もその喪失感は大きなままです。

それと同時に、長いあいだ僕の心の奥には、
説明のしにくい“罪悪感”のようなものが居座っていました。

たとえば──

もし彼女が天国にいるとしたら、
僕に話しかけることもできず、ただ寂しい思いをしているのではないか。
僕が生きていることが、彼女を孤独にしているのではないか──

そんな想像が、ずっと僕の心を締めつけてきました。

死後の世界を明るく描いた、映画の中の3人

『片思い世界』には、すでに亡くなった3人の若い女性たちが登場します。
でも彼女たちは、まるで“生きているかのように”毎日を過ごしています。

食事をし、ファッションを楽しみ、仕事や勉強に向かい合い、笑顔で語り合う──
その姿は、僕らが普段抱いている「死後の世界」のイメージとはまるで違うものでした。

むしろ、彼女たちの方が今を生きる僕たちよりも、
ずっと“いきいき”として見える瞬間すらあったんです。

もしかしたら、彼女は向こうで笑っているかもしれない

映画を観終えたとき、ふと心の中でこんな考えが浮かびました。

もしかしたら、僕の妻も──
今、あちらの世界で誰かと一緒に笑っていて、
穏やかに、楽しく、日々を過ごしているのかもしれない。

それは勝手な想像かもしれない。
でもその想像を許した瞬間、僕の中にずっとあった“罪悪感”のようなものが、
すこしだけ、ほんの少しだけ和らいだような気がしました。

これは僕にとっての、ひとつの小さな癒しのきっかけ

『片思い世界』は、グリーフ(喪失)と向き合う人の心に、
言葉ではなく“空気”や“まなざし”で、そっと触れてくれる映画でした。

悲しみや寂しさが完全に消えることはきっとないけれど、
それでもこうして、自分の中に少しずつ“許せる想像”が増えていくこと。
それこそが、前を向いて生きていくということなのかもしれません。

僕にとってこの映画は、フィクションというより、
「今の自分を、人の死を悲しむだけではなく、明るく前向きな方向に少し前に進めてくれる、心の隙間を満たす時間」だった気がします。

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